筑波大学附属視覚特別支援学校のWEB

学校敷地内の様子、建物と位置関係

 新型コロナウイルス感染防止のために、入学登校日が延期となり、本校への登校を心待ちにしていた新入生・保護者の皆様には、ご不便をおかけします。
 そこで、本校のことを少しでも知っていただきたく、敷地内外を散歩したイメージで写真と共にご紹介いたします。

1.正門に至るまで
 本校は、目白台という高台にあります。最寄りの護国寺駅(4番出口)から点字ブロックに沿って不忍通りを進み、左に曲がると、急な階段に出くわします。初めての方は、その傾斜に驚くかもしれません。通学生の多くはこの階段を使って登校します。足腰を鍛えられます。

急階段正門

2.校内の建物、位置関係
 正門から入り、そのまままっすぐ進むと右側に正面玄関があります。
 正面玄関右脇には、校内の触知案内図があります。その地図を触りながら校舎、校庭、体育館、寄宿舎の位置関係を把握できます。
 なお、その触知案内図と向かい合っているときは、身体は南を向いており、触知案内図の地図も奥側(上側)が南の方角です。
 校舎は、アルファベットのL字を90度左に回転させたイメージです。L字の長辺が東棟・中棟で、正面玄関のところで90度の角度で短辺に接し、西棟となります。
 校舎は、4階建てで、廊下の両側に教室が並びます。
 校庭は、校舎のさらに南側にあり、その右側(西側)には体育館、左側(東側)には、寄宿舎があります。寄宿舎は男子棟・女子棟・共用棟で構成されています。

触って理解する触知案内図校庭と校舎

東棟と寄宿舎をつなぐ点字ブロック3.寄宿舎と校舎を結ぶ点字ブロック
 寄宿舎と校舎東棟を結ぶ屋外通路には、点字ブロックが2本敷かれ、対面で衝突を避けるように配慮されています。この点字ブロックは、駅ホームで敷設されている内放線付きをあえて用い、右側通行に沿って歩く点字ブロックを足裏からでも判断できるように工夫しています。



体育館と西棟4.校庭・体育館
 校庭は、土ではなく、ラバー(ゴム製)です。このグラウンドで、学生時代に鍛えられた卒業生が、パラリンピック代表の陸上競技選手として活躍をしています。そして、昔から変わらぬ体育館、12.5m幅のプールも、パラリンピック代表として活躍された、あるいは現役として活躍しているゴールボール選手、水泳選手の学生時代における修練場所でもあります。



こぶしの花芽5.植樹帯
 校内には、桜、梅、イチョウをはじめ多くの木々があります。約7年前に植えたコブシも花芽を膨らませました。



6.胸像
 正門を入って右側に、「石川倉次」先生の胸像があります。
 石川倉次先生は、日本点字の父と言われ、ルイ・ブライユが発明した6点式の点字を日本語に翻案した人です。本校の前身である訓盲唖院、そして東京盲唖学校時代に、教員として点字の研究に心血を注ぎ、1890年(明治23年)11月1日に、石川倉次案が点字選定会議で正式に採用され、それから全国に点字が普及することとなりました。また、点字の表記だけでなく、点字で書き表すための点字器や点字タイプライターの開発にも携わりました。
 生徒の皆さんが、点字を学び、点字で学習できる礎をつくったのが、まさに本校の教員でもあった石川倉次先生なのです。

 その後、東京盲唖学校は、盲唖分離が実現して、東京盲学校と東京盲唖学校(翌年に東京聾唖学校)として、それぞれ設立されました。そして、東京盲学校は雑司ヶ谷の場所に移転し、筑波大学附属視覚特別支援学校として、この地に現在まで至っています。

 正面玄関と駐車場の間にある植樹帯には、町田則文先生の胸像があります。町田先生は東京盲唖学校から盲学校に分離した際の、初代東京盲学校長をされた人です。盲教育の発展初期において、海外における盲教育の実情を紹介するなど研究熱心で、『内外盲教育』、『帝国盲教育』、『盲教育』の3雑誌を主宰するなど、視覚障害教育の発展と普及に貢献されました。

石川倉次先生胸像町田則文先生胸像

 少しでも、学校敷地内の様子や校舎の位置関係をイメージできたでしょうか。
 皆様とお会いできる日を楽しみにしています。

2020/4/24